大都会研究家TOPPYの日記

Twitter:大都会研究家TOPPY @cityloverTOPPY

左目がおかしい

数日前から左目がなんかおかしい。

・充血

・かゆみ

・涙

・たまにゴロゴロ

・眼精疲労

 

書き出してみたら完全にドライアイっぽいですねw

 

ただ左目だけなんです。

ちなみに昨日までは痒みがひどかったんですが、今日は痒みが消えて涙と眼精疲労がひどいです。

 

死ぬまで失明はなんとか避けたいですねえ...

 

 

 

ちなみに元々左目が弱視で、小1のときに眼科行ったら「なんでもっと早く来なかったんだ!」と叱られたそうです(母談)。

弱視って経験のない人には分かりにくいと思いますが、単に目が悪いんじゃなくてどちらかというと失明に近いんだと思います。

 

いや、そこそこはっきり見えますがもっと進むと失明する感じです。

 

 

 

私は右目が近視、左目が遠視(弱視)なので目が悪くなっても気づきにくい。

互いに助け合うので、視力が落ちてもあまり実害はないんです。

 

 

 

 

やっぱり目を労わるのは大事です。

というか五感は全部大事だと思います。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。

 

コロナで嗅覚と味覚を失う人がいるそうですが大変なことだと思いますよ。

クNニができないとかだけじゃなくて、そもそも料理が不味くなりますからね。

 

そういえば爺ちゃんも亡くなる2年前くらいに料理が不味いと言い出して、半年前に脳梗塞で倒れました。

もう何食べても不味いと言ってました。

 

味覚の不良は脳梗塞の兆候としてもあるんですが、コロナでも症状として出るみたいですね。

 

 

 

 

触覚はともかく、他の感覚が1つでもなくなったら生きるの楽しいのかな?って考えることがあります。

もう対人関係を司る脳の部位が完全にぶっ壊れてるので、感覚が消えたら多分自殺しちゃうなw

 

 

 

関係ない話なんですけど、今日いい夢を見まして。

私の夢は中学時代が多いんですが、今日もそうでした。

 

今日の夢は3人の女の子が出てきまして。

1人は小4-6まで付き合ってた、1人は何回かアプローチしてきた、1人は中学時代ぞっこんだった人。

 

今日はそんな3人が出てきました。

起きたら現実に引き戻されましたけど。

 

夢には対人関係ぶっ壊れた自分なんて出てこないからね。

スポーツ少年に劣等感抱きまくりの運動音痴なんて出てこないし。

低身長に悩む自分も出てこない。

 

もちろん目が悪く眼鏡常用で顔が歪んでる自分も出てこない。

 

 

 

 

そういや大学の同級生大体コンタクトでしたね。

まあ眼鏡って矯正器具的なダサいイメージあるし、実際顔変わる気がしますね...仕方ないとは思います

 

でも眼鏡は異端みたいな空気ありますよw

とにかく他人に気遣いまくってええかっこしいしまくってる感じww

 

大学のそういうとこが嫌なんだよね...

真の陽キャは中学高校の友達を大事にするって5chで見たけど、一理あるかもしれない。

 

 

 

かといって今の私は夢でしか中学高校の友達と会えないですけども...

たまに中学時代の同級生のSNS見るとケバケバしてるもんww

 

もうあの頃の思い出は俺の脳内だけで生きているwww...

都市開発への興味が失せてきた

 

コロナで都市自体が”悪”とされた

コロナが広まって以降、本当に都市の悪い所ばかりクローズアップされるようになりましたね。

 

私の思うに、都市は良いところと悪いところ両方あるんですが、コロナでは悪いところばかりが出てしまったと。

単に人がたくさん集まるということだけでなく、通勤電車や家計を圧迫する家賃などさまざまな欠点に目が向けられたことで、余計に都市へのイメージは下がりました。

 

人が多い都会が好きか嫌いかってかなり人によるところがあるとは思いますが、色んな統計を見るとどうも多くの人は都会にストレスを感じるんじゃないかという気もします。

 

別に好きならそれで全く構わないんですが、一部の資本家の金儲けのために都市でしか生きられないような状態を作り出すのには嫌悪感があります。

 

そういうわけで自分なりに都市について色々考えた結果、都市開発への情熱はどんどん消え失せて行ったのです。

元々人の多い場所はあまり好きではないんですが、それでも都市開発が趣味だった背景には田舎者特有の都会への憧れがあったんだと思います。

 

しかし改めて考え直したところもはや都会の素晴らしいビル群やきらびやかなネオンサインはハリボテに過ぎず、実態は人のゴミ箱であり、人間家畜化の場であり、格差の温床であり、病気の温床でもあるという結論に至ったのです。

 

 

勉強のために都市開発趣味を自制してたら興味が消えた

4月以降、大学再受験を目指して都市開発趣味から自主的に遠ざかっていました。

その結果、都市開発への興味が自然と薄れていきました。

 

最初は禁断症状みたいな感じで都市開発への執着が残っていたんですが、だんだん薄れていきましたね。まあそういうもんだと思います。

 

 

 

都会に行く機会がなくなった

大学が都会にあるので、キャンパスに通ってる頃は建ち並ぶビルを見て都会への興味が湧きあがったものですが、今ではほとんど家から出ることもなくなったのでそもそも都会を見ることができないんですよね。

 

大学に通ってた頃はちょっと寄り道して中心部まで遊びに行くなんてこともできたわけですが。

 

まあ都会にはなるべく行くなと言われる状況なので仕方ないと思います。

少なくともコロナが収まるまでは都会に喜んで行けることもなさそうなので、それまでは都市開発趣味が復活することもないでしょう。

 

 

これから

twitterは一応鍵かけておきました。

これから復活することがあるかもしれないし、ないかもしれない...

 

でも将来都会で働かざるを得ない、都会に安心して行ける、というふうになれば、また都市開発への興味が出てくる予感もします。

 

twitterを削除して一からやり直すことも考えましたが、趣味垢持つほど詳しい分野もないし、かといって友達もいない以上プライベート垢作っても仕方ないので、しばらく保留します。

 

ちなみにtwitterをやめることはありません。

消すとtwitterそのもの見れなくなっちゃうので。

自閉症スペクトラム(ASD)かもしれない

hidamari.jiji-ok.com

 

上のサイトから。

 

 

アスペルガー症候群(AS)・自閉症スペクトラムASD)のチェックリスト

社会や職場での困り感と発達障害の関連性をチェックすることができます。

 

社会性
・何かをするときは一人でやるほうがいい。

⇒○
・自分では丁寧に接しているつもりでも、無礼だとか失礼だと言われる。

⇒○
・自分では清潔な身なりのつもりでも、他人からは清潔感がないと言われる。

⇒○
・相手がついている嘘や悪意が判断できずに騙されてしまう。

⇒嘘や悪意には敏感。
・うわさ話や陰口がどうしても許せないし、自分では決して言わない。

⇒許せるが、嫌いなやつの陰口を言うことはある。ただ友達の陰口はほぼ言わない。

 

コミュニケーション
・伝えたいことはわかっているのだが、言葉でまとめるのが苦手である。

⇒○
・話すことが好きで語彙も豊富だが、話し方が堅苦しい・辞書を読んでいるみたいだと言われることがある。

⇒○
・会話をするときに相手の目を見て話すことができない。

⇒○
ジェスチャーが多すぎると言われることがある。またはジェスチャーを全く使えない。

⇒○ ほぼ使わないし、使ってもぎこちないと言われる。

 

 

想像性・こだわり
・興味の範囲が限られ、他の人の話に関心を抱けない。

⇒○
・違うことを試すよりも、同じやり方を何度も繰り返す。

⇒微妙
・悪気はないのに事実を言ってしまい、相手との関係性が悪くなることがある。

⇒○ 相手に深入りできるくらい親しくなるとこうなる。
・日々のルーティンが何らかの理由で出来なかったり、予定していたスケジュールがキャンセルされると、動揺して頭が真っ白になる。

⇒頭真っ白にはならない。やる気が大きく削がれることはある。
・相手の顔を見てもその人が考えていることや感じていることがわからない。

⇒むしろ敏感。
・あることを、他の人がどのように感じるかを想像するのが苦手。

⇒○
・他の人の考え(意図)を理解することは苦手。

⇒○
・何かに没頭してしまうと、他のことが全く気にならなくなことがある。

⇒○ ただ5chにはまってからは5ch以外何にも没頭できなくなってきた
・車のナンバーや時刻表の数字など、特に意味のない情報に意識が集中することがある。

⇒○ 車のナンバーの数字には興味ありませんが。
・何かを想像するとき、イメージを簡単に思い浮かべることができる。

⇒○

 

 

感覚過敏・鈍麻
・飲食店など大勢の人がざわついている場所では、相手との会話に集中できない。

⇒そうでもない。逆に周りは気にならない。

・偏食がひどく、においの強いものや特定の食感のものが食べられない。

⇒そうでもない。
・他の人が気がつかないような小さな物音に気がつくことがある。

⇒○ 親が結構歳行ってるのもあるかも。
・季節や気温にあった衣服の調節がうまくできない。

⇒できる。ただ昔はいつまで半袖でいられるか競うこともあった。

 

 

感覚過敏・鈍麻に関しては特にASDの気はないようです。

ただコミュニケーション・社会性・こだわりの点でかなりASDの気が強いことがはっきりしました。

 

そもそもなんでASDを疑ったかというと、

・コミュニケーション能力と社会性が著しく乏しく、生きづらさを感じたから

・あらゆる物へのこだわりが強すぎて辛かったから

という事情があります。

 

もちろん最近気づいたのではなくて、昔から自覚していました。

しかも親も私が発達障害だと気づいてましたし、親自身も発達障害を自認しています。

 

またいとこも発達障害でした。

が、いとこの場合は親が早期に治療を施したため、ほぼ健常者と変わらない生活を送っています。

 

 

 

もっと早く親が病院に連れて行ってくれればなあという思いもありますが、仕方がありません。

学習障害はなくむしろそこそこ学力が高かったのがASDをより楽観視させた原因かもしれないと思ってます。

 

社会性がないと大学生活・就活・その後の人生どれも失敗するだろうということで、今のところ発達障碍者支援センターに相談することを考えています。

 

 

ちなみにASDは親の育て方によるものではなく、先天的な脳・遺伝子の異常であることが分かっています。

ASDの人には行動や性格、また容姿にもわりと共通した特徴が現れるとのことです。

 

 

約5-10%の人がASDであると推測されています。

なぜここまで淘汰されなかったのかというと、ASDの一部が特定の分野に秀でた才能を持つこと、原始社会ではASD者は健常者より社会性は弱かったが外敵に敏感であったこと、などいくつか利点があったようです。

 

とはいえ経験上デメリットの方がはるかに大きいし、その才能を活かせる人なんてごく一部なんですからASDを治療するに越したことはないと思います。

 

 

子供の頃はここまで生き辛さを感じなかったんですけどね。

やっぱ高校、大学と進むにつれてコミュニティが大きくなって社会関係が複雑化したこと、思春期になり「大人」になっていくことで社会性が増したこと。

あとは家庭環境やASD特有の生き辛さのせいで後天的に性格が捻じ曲げられたことなどもありそうです。

 

とにかく発達障害というものは一様ではなく重なり合っていたり、生き辛さのせいで後天的に性格が捻じ曲げられていったりして、実際の人格はかなり複雑です。

ただASDが先天異常であるということが明らかになっていますから、まずはASDを治療したいと思います。

そしてお医者さんの皆さんにはさらにASDについての研究を進めていただき、いつか完治できる日が来ればなあと思います。

 

学校教育の欠点

勉強していて思った学校教育の欠点を書いてみます。

ただ自分に合った勉強法というのは人それぞれ違うのであくまで私個人の主観と思ってください。

 

なるべく多くの人が共感できる意見となるよう書いていきます。

 

 

面白くない

日本の学生の多くが学校教育を面白くないと思ってるのは統計的事実です。

面白く感じない理由は色々あると思います。

 

学歴を得るために強制されてる勉強だから、教科書の内容を先生の話を通して一方的に聞くだけだから、など。

受験の為に頑張るというのは動機付けにはなりますが、逆に受験に関係ない勉強に興味を失くさせてしまう原因にもなります。

 

もちろん興味ないから勉強したくない、という子供が一番多いでしょうが。

ただ勉強して損することって基本ないと思います。

知識は得れば得る分だけ見識が広くなるし、何より見識が広くなって色んな人に偏見を減らして接することができるようになったり、コミュニケーションや雑談の種になるという楽しみにもなります。

 

この点を強調して子供に勉強を勧めるのが良いと思います。

勉強を「大人になったらやりたくないこともやらなきゃいけないんだ。だから我慢して勉強しろ」と無理強いするのはあまり有効な動機付けではありません。

 

ただ勉強って基本遊びなので、無くて損するってことはありません。

逆に、勉強によって人間が不幸になってしまったり、女性が子育てやコミュニティの統合など絶対必要な役割を軽んじたりするようになるのは、絶対あってはならないですから。

 

私は科学を否定するつもりは全くないですが、科学知識によって人が不幸になってしまったり、男女の中性化が進んで少子化個人主義(独善主義)が進んでることには違和感を感じます。

 

本に書いてあることは自分で読んだ方が効率が良い

インプットのスピードは人それぞれなので、教科書はクラス全体で同じスピードで読み進めるより、個人個人が自習した方が効率的だと思います。

 

ただ教師の存在価値を否定しているわけではありません。

私は予備校でたくさんの知識を絡めて教えてくれる面白い先生とたくさん出会いました。

高校にも、面白い先生は少ないもののいました。

 

教科書があっても教師の深い知識がなければ、色々な事柄を絡めて複合的に物事を考えることはできません。

それこそ教師の仕事だと思います。

 

 

 

学校では実践やアウトプットをメインで教えるべき

単純なインプットなら教科書で各自自習すればよいのです。

もちろん色々な知識を絡めて複合的に説明できる面白い先生がいれば、学校の授業も有意義になると思うのですが。

 

ただ経験上、実践演習やアウトプットは学校でやった方が良いです。

参考書を使ってできなくもありませんが、アウトプットはインプットと違って一通りではなく、細かいテクニックを必要とすることも多いですから。

 

音読教育の重要さ

少し話が逸れますが、音読は非常に有効です。

音読は脳をフル回転させることが大学の研究でも明らかになっています。

 

ちなみに声を出さなくても口を動かすだけで、声を出した場合と同じだけ脳が活動するという東北大のデータを見たことがあります。

 

 

これだけ音読が有効というのも、よく考えれば当たり前です。

人が生きる上で絶対に必要とすることの大半は口伝で学びます。

子供はそういう言葉を耳で聞いて学習します。人類は文字を使うはるか昔から口伝を使っていたのですから当たり前の話です。

 

無論これは人によるかもしれません。

要領の良い人は文字を読むだけで全てを素早く理解できるかもしれません。

 

 

 

しかし音読が非常に脳を活発に動かすことは研究で明らかになっています。

そして人は口伝によって生きる上で必要なことの大半を学びます。

あらゆる人にとってさまざまな欲求や感情に応えてくれるのは人の声なのです。

 

だから自分の声とはいえ音読することは、理に適っているし、どこか安心するものなのではないかと思うのです。

学歴社会について思うこと

 

・学歴は就職(バイトも含む)で非常に大事

学歴が就職において最も価値を持つのは疑いようがありません。

またバイトの就職でも、家庭教師や塾講師など学歴が意味を持つ場合は結構あります。

 

私は今、公務員(特に国家がいい)を目指していますが、もし高学歴であればNTTや電力ガスなど半官半民、かつての5現業を目指しただろうと思います。

そっちの方が安定していながら待遇も大企業並みに良いですしね。

 

東京電力JR東海クラスとなると東大文系でも競争を生き残った人しか就職できないかもしれません。

ただ一応門戸は開かれているのは羨ましいです。

 

 

 

またバイトの多くは学歴不問ですが、家庭教師や塾講師の場合、やはり学歴がモノを言います。

東大や京大など超高学歴な大学生は時給が3000円以上行ったりするようですからね。

 

家庭教師の学歴事情についてはあまり詳しくないので踏み込んだ話はできませんが。

 

・でもいつでも学歴を得ることはできる

しかし高校までと違って、大学はいくつになっても受験することが世間的にも制度的にも許されています。

コント55号の欽ちゃんが駒沢大学に入学したり、大学生の母親が東大に受かっちゃったという話なども聞きますし。

 

今でこそ特に他の学問(特に理系)を大学で学びたいという気持ちはないですが、年を取ってから大学に再び入りたくなることはもしかしたらあるかもしれません。

 

そのときは余裕があれば躊躇なく大学に入りたいと思います。

他の大学生に馴染めるかはともかく、いくつになっても色んな学問に通じていたいものです。

無論、私の社会的立場によっては大学に入ることは(世間体的に)できなくなってるかもしれませんが。

 

・色々なことを学ぶことの重要性に気づいた

高校時代や大学1年のときの私は、直接将来に役立つことしか学ぼうとしていませんでした。

高校時代であれば受験に使わない科目を軽視したり、大学1年であれば必修以外の授業を軽視したり。

 

でも少しずつ、なるべく多くのことを学ぶ重要性に気づいたのです。

視野を広げることで、人とのコミュニケーションが変わることに繋がるかもしれないのです。

 

新しいことを学んで、その知識を副業に使ったり知識博士になって自慢できるのもメリットかもしれません。

でも新しいことを積極的に学んで友達を増やしコミュニケーションを豊かにすること。

 

これが今の私にとって最も重要ではないかと思います。

還暦の母はいつもそのように忠告してくれるのですが、やっと気づいたのです。

 

 

 

そういえば高校時代、ボードゲーム部に所属していたんですが、そこで多くの友達を作ることができました。

とはいえほとんど欠席していたのと、私自身そこまで学習意欲がなかったのとで、部活動に有意義に参加することはできませんでしたが。

 

twitterでも都市開発を通じて、多くの都市ヲタと繋がることができました。

 

 

まとめ

学歴社会に不満を感じても、今さらどうしようもありません。

ただ今は1年あまり後の公務員試験に向けて努力するべき期間です。

 

中学、高校と何度も受験に対する悔いを残してきた反面、この公務員試験は失敗させることはできません。

 

将来色んな学問に積極的に触れてみようと思います。

また色んな学問に惹かれて再び大学に入りたくなるかもしれません。そのときはもう一度大学に入り学問を修得するかもしれません。

 

ただ学習欲を満たす、ということだけでなくて、学問の輪趣味の輪を通して同業者と繋がり、コミュニケーション能力の向上にも役立てたいと思います。

多くの社会問題の根元に個人主義がある

最近、るいネットや↓のサイトで婚姻制度について調べております。

bbs.jinruisi.net

 

ただ私が導いた結論はそれらのサイトとは若干異なるものです。

まず結論から述べると、『少子化セックスレスフェミニズムなど様々な社会問題は大家族制の解体(地域コミュニティの崩壊)から始まった』

 

この主張は上記のサイトと似通っているかもしれないし、世間一般でも当たり前にされているような気もします。

 

 

 

 

ただ上記のサイトでは説明できていない点があります。(私の調べ漏れかもしれませんのでご容赦ください)

 

上記のサイトでは、江戸時代以前の日本庶民は性的に非常におおらかだったと述べています。

なので田舎では夜這いや性器崇拝が当たり前で、都会でも混浴銭湯が普及していたと。

 

しかしキリスト教の禁欲思想が持ち込まれ、明治政府によってそういった性的風習は規制され消滅したと。

そうした性をタブー視する文化が少子化セックスレス(不十分な性の理解)に繋がっていると述べているのです。

 

 

 

しかしイスラム教では厳しい性規範にもかかわらず、高い出生率と安定した社会秩序を維持している点が非常に謎だったのです。

 

私は自分なりに結論を導き出しました。

それがすでに述べた『少子化セックスレスフェミニズムなど様々な社会問題は大家族制の解体(地域コミュニティの崩壊)から始まった』

 

 

 

 

まずキリスト教がなぜ非常に禁欲的な性規範を導入したか。

上記のサイトの説明をいくつか引用します

・イエスパウロ、神父らの個人的な性的コンプレックス

ゲルマン人の女性恐怖

ローマ市民の乱れた性秩序(特に上流階層で深刻だったと思われる)

 

・イエスパウロ、神父らの個人的な性的コンプレックス

エス聖母マリア処女懐胎によって誕生したとされています。

彼には数人の兄弟がいましたが、彼だけは婚外子であった可能性が高く、遊説中にもそのことを罵られたりしていました。

 

またパウロや後世の神父らにも個人的な経験からくる性的なコンプレックスがあったそうで、時代を経るにつれて性に関する教義は禁欲的態度を増していきます。

 

ゲルマン人の女性恐怖

これは冒頭にリンクを貼ったサイトにあった説明です。

 

現代ヨーロッパ、さらにアメリカへと繋がる系譜は、元を辿るとゲルマン人にたどり着きます。もちろんラテン人ではありません。

 

ゲルマン人は元々獰猛かつ死を恐れない勇猛な民族としてローマ帝国の歴史書に描かれています。

彼らはインドヨーロッパ語族の故地であるインド北西部からヨーロッパ北部へ移住します。その途中にも何度も戦闘したようです。

 

しかし4-6世紀、恐らく気候変動の影響で玉突き状にゲルマン人が西へ南へと移動し、ローマ帝国を崩壊へと導きました。

ちなみにこの時期、気候変動によって遊牧民中央アジアの草原地帯から温暖湿潤な地域へ逃れようとした影響で、世界各地で激しい混乱が生じました。

 

ローマ帝国へ侵入したゲルマン人は自分たちの言語と文化を捨て、ラテン語キリスト教に乗り換えます。

ゲルマン人はその勇猛さを買われ、また戦争奴隷としても積極的に戦地へ出征しました。

 

しかし戦地から戻ってくると妻子はすでにラテン語やローマ文化に染まり、ゲルマン的な要素が消え去っていました。

 

またゲルマン人は元々女が強い民族で、戦いの際には女が甲高い声を挙げ兵士を鼓舞したり、胸を見せつけ気分を高揚させていました。

このような女性への畏怖と、妻がローマの言語と文化に染まりゲルマン言語・文化を放棄したことへのトラウマが、キリスト教の禁欲思想と結びつき異常な性的コンプレックスをキリスト教が帯びるに至ったという説もあります。

 

ソースは長いですが、ぜひ読んでみてください。

https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/6/ochi.pdf

 

 

ローマ市民の乱れた性秩序(特に上流階層)

ローマ帝国、とりわけ都市部では非常に性が乱れていました。

不倫や売春が蔓延し、性的駆け引きによって男を操ろうとする女もいたことでしょう。

 

そして性の乱れは孤児を増やし、街中には赤ちゃんポストのような物が設置され孤児院で養育されていました。

 

こうした性の乱れを抑えるためにキリスト教が積極的に導入されました。

 

 

 

こうしてキリスト教は社会問題を解消するために、わずかな期間で国教化され、以後生活の隅々をキリスト教が支配する時代に突入します。

 

 

 

その後16世紀にルネサンス(封建主義への反動)が起こり、教会支配から現代的な資本主義へと移行していきます。

 

 

 

さて『少子化セックスレスフェミニズムなど様々な社会問題は大家族制の解体(地域コミュニティの崩壊)から始まった』という結論に戻ります。

キリスト教の禁欲思想はセックスレス機械的なセックス、SMなどの性的倒錯、さまざまな弊害を現代に残しつつ、都市化・個人主義によって都市部では再び性の乱れが問題化、少子化などへ繋がっていきます。

 

またフェミニズムキリスト教的な禁欲思想・女性蔑視の反動として台頭します。

 

 

 

一方、イスラム教圏では個人主義は広まらず伝統的な大家族制度を残しています。

またイスラム教は禁欲的と思われがちですが、キリスト教と違って夫婦間の積極的な性生活を奨励しています。

 

夫は妻を、妻は夫を性的に満たすべきだ、とコーランでは教えています。

 

 

 

そして女性はヒジャブで全身を覆い、性的アピールを控えます。

イスラム教では婚外交渉は制限されていますが、大家族制によって女性は安心して子育てできるので不倫する必要も薄く、1人で外出することもあまりありません。

 

江戸時代の庶民も不倫は常態化していたと言われていますが、それほど咎められなかったのは不倫相手とも顔見知りだったからでしょう。

長屋は皆顔見知りで大家族のように親しく付き合ったと言いますから、もし誰かの妻を寝取ってもそれは予定調和内だったと思われます。

 

実際長屋は皆穴兄弟だったという話もあります。

 

 

 

 

イスラム圏で大家族内の不倫が存在するかは知りませんが(表向きは禁止)、万が一大家族で不倫が起きても顔見知り同士ですから穏便に解決できると考えられます。

 

また夫婦間の性交渉を一切咎めないのがイスラム教なので、夫婦は子作りという一大使命を背負い大家族の庇護を受けながら安心して子供を作り養育することができます。

 

子供は大家族の下で多くの大人に教育を受けながら育ち、また女同士で子育てを分担できるので、子供の育て方を間違えたり育児ノイローゼゆえに虐待するようなこともありません。

 

 

 

江戸時代の日本は非常に性におおらかだったと言われ、性をタブー視する文化は(庶民には)あまりありませんでした。

逆に非常に性に厳しいイスラム圏も夫婦間の性生活にはおおらかです。

 

一見対極的な両者ですが、大家族制度によって皆顔見知りになることで不倫のいがみ合いを減らし、子作りや子育てを家族皆で行うという点では似ています。

 

 

 

一方、明治維新で欧米の、しかも貴族階級の家族制度を取り入れてしまった日本は一気に核家族化が進み(大正期には都市部では核家族が主流になっていた)、不倫によるいざこざ、セックスレス、虐待、少子化など一気に諸問題が噴出します。

 

これは欧米の先進国でも同様ですが、その根っこは個人主義であるという結論に至りました。